乳がん発見から手術までの道のり②(病院に電話をかける)
約束の日、病院に電話をかけた。
ドクター:「子宮の方は問題ありません。しかし、乳房の方については、もう一人の先生が、乳頭の真上に気になる影があるので、再検査をした方がいいと言っているんですよ。こういう影は、マンモグラフィーの撮影の時に動いたりするとできる影だから、心配ないと思いますが…念のため病院を紹介しますね」とのこと。
病院を紹介してもらい、17日に再検査を受けることになった。
乳がん発見から手術までの道のり①(婦人科検診)
職場復帰して3ヶ月。
7月28日、婦人科検診を受けた。
妊娠する前に検査して以来、5年近く検査はしていなかった。
触診とマンモグラフィーの検査をした。
ドクター:「レントゲンを見ても触診をしても異常は見られません。今後も2年を目安に検診を受けてくださいね。念のため、もう一人の先生がチェックをするので、8月6日の20時に電話を下さいね」とのこと。
その日は、そのまま仕事に向かった。
41歳0ヶ月。乳がんと宣告されました。
仕事復帰をして3ヶ月。
職場で受けた健康診断で、右乳房に乳がんが見つかりました。
最初の検診から宣告されるまで2ヶ月。何度も検査を受けました。
宣告から手術まで1ヶ月半。手術後、3ヶ月の病休。
正直、このあたりの記憶がほとんどありません。
娘は2歳でした。もう、不安しかありませんでした。
健康であることがどれほど有難いことか。命の有難さを改めて感じた出来事でした。
保育園入園
娘はなかなか保育園に慣れませんでした。
毎日毎日泣き続け、いつまで経っても慣らし保育が終わりませんでした。1ヶ月近く経ち、実家の母にいつまでも甘えるわけにもいかず、最後は半強制的に1日保育になりました。
数ヶ月経っても、朝だけではなく日中も家のことを思い出すのか、急に泣き出すことがよくあったそうです。
約2年、娘は毎朝泣きました。泣かなかった日は数えられるほどしかありません。先生から日中は楽しく過ごしているとは聞きましたし、家でも保育園であった楽しい出来事や好きなお友達の話もよくしてくれます。
でも、娘にとって保育園は「行きたい場所」ではなく、「行かなければならない場所」だったんだと思います。
4月から年少さんになり、ようやく泣かなくなりました。
相変わらず、「毎日お休みだったらいいのにね」と言っています。
35年ローンで家を建てました
子どもが生まれてすぐ、家を買うことを決めました。
夫婦ともに借家で育ちました。特に私は持ち家に対する憧れが人一倍ありました。
夫婦ともに慎重なタイプだと思いますが、この時はお互い冷静な判断ができない状態だったと思います。冷静な判断ができたら、そもそも家なんて買えないと思います(笑)
そして夫婦名義でがっつり35年ローンを組みました。
そして娘の1歳の誕生日に新しい家に引っ越しをしました。引っ越し業者の方に「すごい誕生日プレゼントだね」と言われたことが、今でも記憶に残っています。
娘はこの家が大好きなんだそうです。
でも、娘が巣立った後は・・・
私は夫と二人で1LDKのマンションに住みたいです。
もう草取りもしたくないし、掃除も最小限がいいです(笑)
38歳で出産
結婚後も仕事を続けました。
妊娠8ヶ月まで仕事をし、産休、育休に入りました。
38歳の高齢出産でした。
女の子だったらいいなぁという思いが伝わったのか、念願の女の子が産まれました。
3500g級の大きな女の子。まるまるとして本当に本当に可愛い赤ちゃんでした^^
母から「あなたは良く寝る育てやすい子だった」と聞いていたので、きっと我が子もそうだろうと思っていました。ところが、娘は「寝ない赤ちゃん」でした。
寝たと思っても布団に置けばすぐに目を覚ましました。布団でお昼寝をしてくれたことは一度もなく、私は一日中娘を抱っこして過ごしました。そして、限界を感じると車に乗せ、あてのないドライブをしていました。
夜も私がいなくなるとすぐに気がつき、トイレすら自由に行くことができませんでした。娘と一緒に寝て、娘と一緒に起きる。娘が寝た後に起きて好きなことをするなんてことも許されず。夫婦の会話も激減しました。そんな状態が3歳後半まで続きました。
私は育児がこれほど大変だとは思っておらず、何度弱音を吐いたか分かりません。高齢でなければもっと楽しく育児ができたのかも知れない。もっと若く体力があれば・・・と思ったことことは一度や二度じゃありませんでした。
でも、娘は本当に可愛く、私の「生きる楽しみ」になってくれました。